151 この歳にもかかわらず
ビートたけし氏が言いました。
「痛いっ というのは大切でサー、からだを制御するためのものなんだ。
もし痛みが無かったらみんな知らないうちに無理して死んじゃうかもしんないよ。」
たしかに痛みは限界を告知してくれるものですね。
「しばらく安静にして回復を待て」 という身体からの正確なメッセージですね。
痛み、恐れ、それを堪える能力を人は成長しながら学んでいきます。
幼児は痛い経験をして、はじめてやらないほうがよいことを覚えていきますね。
怖いけどちょっとやってみた。
でも失敗して痛い目にあってしまった。
その経験を基にまたチャレンジする。
この適度な恐れや痛みの向こう側だけしか上達や成長はないのかもしれません。
痛いにもかかわらず やり遂げたよ。
この「にもかかわらず」という言葉を大切に考えたい。
諏訪中央病院名誉院長で多くの著書を持つ鎌田實先生はTV番組でこうおっしゃいました。
重病だったにもかかわらず健康な毎日を過ごせるようになったんだ。
危険と言われたにもかかわらずやり通したよ。
親戚中にやめろといわれたにもかかわらず続けたよ。大成功だった。
「これは良くない状況を好転したときに使える力強い言葉なんだよ。」
この言葉には様々な恐怖を克服した努力のあとが見て取れますね。
「年齢というのは単なる数字に過ぎない。」と言う人がいます。
しかし数字の大小にかかわらず、この数字はとても強い魔力を持ちます。
「どうせ・・・」という自己暗示を潜在能力に刷り込み勝手に限界を作ってしまう魔力です。
60歳になると定年という社会が作り上げた限界説に潜在意識が勝手に応え、活力が失せていくように仕向けられてしまいます。
悪い状況に対しては「にもかかわらず」で立ち向かうと好転しそうですね。
人生100年時代、少しだけ恐れや痛みを伴いながら活力ある毎日を過ごしましょう。